世界を翔けるカメラマン 田村 裕司

やすらぎ工房

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2020.06.11 Thursday

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三年目の被災地・岩手県

2014.12.04 Thursday
春に訪れた三年目の被災地。



昨年12月からのアフリカ、ヨーロッパ、中東の旅を終え、4月に帰国してすぐに東日本大震災の被災地の三年目の撮影に入った。



宮城県を北上して、岩手県に入る。







陸前高田市の学校。おそらく解体するのだろう。







名物となりつつある陸前高田の巨大コンベア。



市街地のかさ上げをするための、大量の土砂を山から採掘するものとして作られたのがこれだ。







水路の門は、がれきは取り除かれたが、再利用できるのだろうか。







釜石市の崩壊した防波堤は、ついに撤去された。







釜石市の高台から、町を見下ろす。







大槌町の被災した町役場。こちらは、一部を保存して現在は解体された。







そして、いつも被災地の撮影の最後に訪れる宮古市。







集落を見渡す橋の上から、その変わり往く光景を眺めて撮影を終える。



全体を通すと、少しずつ各地の整備が整っているようだが、その道のりはまだ遠いものだろう。



被災地の一日も早い復興を祈ります。






三年目の被災地・宮城県

2014.12.03 Wednesday
春に訪れた三年目の被災地。

昨年12月からのアフリカ、ヨーロッパ、中東の旅を終え、4月に帰国してすぐに東日本大震災の被災地の三年目の撮影に入った。

福島県を北上して、宮城県に入る。



被災した各地で多く見るようになった慰霊塔。



黄色いハンカチが吊るされた木。



新しい堤防があちこちで作られている。



がれきの撤去が終わり、更地が多く見られるようになった宮城県。



しかし、テトラポットを大量に海岸に積み上げる光景は、決して好感をもてない。



地区で掲げられていた看板。復興への思いは、それぞれだ。



仙台空港近くに新しく作られていた公園。子どもたちの笑い声が聞こえる日が待ち遠しい。



こちらも仙台空港近くなのだが、周辺の家は、ほとんど倒壊して片付けられたのだが、この家は所有されている方の希望からか、残すようなことが立て札に書かれていた。



こちらは、小学校。修復して再利用するのだろうかは、不明である。



はずれにある小さな集落などは、基礎を残して、そのままにされている。



慰霊碑の中では、こちらはとりわけ大きな観音様。



ほとんどの場所で、がれきが無くなったが、奥の方に行くといまだに崩壊したままの道路も存在する。



交通が少なければ、いたしかたないものなのだろう。



何件か家が密集していた場所だったのだが、がれきが撤去されてからは、大量の土が置かれていた。



東名駅があった場所は、きれいに線路が無くなっていた。



当時、津波に押し流されたがれきだらけだったのが、うそのようだ。



静かに手向けられた花。



奥松島に続く道の入り口の端のブロックは、折れたままだった。



そこから奥に進むと、いまだに残る、がれきの残骸。



各地で慰霊碑を見るたびに、心が締め付けられる。



南三陸町の防災対策庁舎。最後まで避難アナウンスをした女性が、メディアで多く取り上げられていた。

保存する予定だったが、現在は解体する方向らしい。



いつも立ち寄る気仙沼市にある神社の高台。三年経ち、だいぶ見える景色が変わった。



津波に飲まれた高さを表す表示が掲げられていた。



海に沈んだままの防波堤。



電車が通らなくなった線路。



石巻市の燃えた学校は、網で覆われていた。



少しずつでも、復興と言う歩みを進めなければならないのだろう。

三年と言う時間を、改めて考えさせられます。


 

三年目の被災地・福島原発

2014.12.02 Tuesday
春に訪れた三年目の被災地。



昨年12月からのアフリカ、ヨーロッパ、中東の旅を終え、4月に帰国してすぐに東日本大震災の被災地の三年目の撮影に入った。



いまだに収拾が付かない福島第一原発事故。



規制線が張られている周辺に行った。







津波により流されたまま放置された車。







崩壊したままの家。







他の被災地では片付けられた残骸も、ここでは放射線量の関係からか、そのままにされている。







目に見えない分、恐怖もより強く感じる放射線。







ここ富岡町は、一年ほど前に立ち入り制限が解除されたのだが、一年前に訪れた時と全く変わっていない光景が、とてもショックであった。







半壊したアパート。







折れたままの電柱。







富岡町の駅は、物悲しげであった。







駅前は、まるでゴーストタウンだ。







一人取り残されてしまったような、孤独感に襲われる。









ひっくり返ったまま放置された車。







津波が襲ってから三年経ったとは、とても思えない。







まるで時間が止まっている。







途中まで修復をしていたのだろうが、ここでの生活を考えると厳しいものを感じる。







駅近くに慰霊碑が建てられていた。







いつか、この地に再び人々の生活が戻る日を願う。






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