昨年6月の鹿児島、沖縄離島の旅。
居心地のよかった奄美大島を離れ、御隣の喜界島に移動します。
夜10時くらいの船出です。
奄美大島を出発して、二時間ほどで喜界島に到着します。
そのまま夜を明かして、翌朝からレンタルバイクを借りて、喜界島をまわります。
一周およそ50キロのこの島は、最高標高が214mと低く、全体を見ると平べったい印象をうけます。
サンゴ礁が隆起してできた島で、約12万年前に島として現れた見られており、現在も年間2mmの隆起を続けているそうだ。
島一面にサトウキビ畑が広がり、黒砂糖の生産が有名だ。
あちこちに分散する集落では、古くからあると思われるサンゴの石垣を見かける。
台風や潮から家を守るための、先祖の知恵といわれる。
沖縄でよく見かけるサンゴの石垣だが、ハブの住処となる欠点があるが、喜界島にはハブはいないので安心だ。
石で出来た独特の形の神社の鳥居。
島文化の面白いところだ。
亜熱帯の植物も多く、巨大なガジュマルがどっしりとかまえる。
ガジュマルの森。
こちらは、樹齢300年の大ソテツ。
奄美大島でソテツの植え替えを行ってから、やたらとソテツに敏感になりました。
そして、ここにも平家の落人の話しがあり、ここには上陸の地と記された碑が建っていました。
こんなところまで来た事を考えると、その執念はすごいものだ。
そして、喜界島を訪れた一番の理由は、特攻隊を追うこと。
喜界島では、太平洋戦争末期の1944年に海軍基地が国土防衛の最前線基地として拡張整備され、翌1945年の米軍沖縄本島上陸からは、連日連夜の米軍機の猛攻撃を受けながらも、多くの特攻機がこの場所より飛び立った。
美しい海の先に思う悲しい出来事。
各地から集められた青年たちは、この地から出撃するその時、一体なにを思い、なにを願ったのか。
佇む慰霊碑から見える美しい草原に問いかけようとも、さざ波の音が遠く静かに聞こえるだけだ。