世界を翔けるカメラマン 田村 裕司

やすらぎ工房

彦根城

2013.01.29 Tuesday
  昨年9月の大阪、京都出張のついでに取材したお話。

国宝指定されている4城の一つ、彦根城。

ここもまた、いつか訪れてみたかった場所の一つだ。



場所は、滋賀県彦根市で、琵琶湖に面する場所にある。

大老井伊直弼の居城としても有名であり、代々の井伊家縁の城である。



こちらは、城下町と共に再現されたジオラマ。



城への道のりは、これまた山の上に建てた城なのでこんな階段を登る。

しかし、この階段、ただの階段では、ないのだ!

歩幅がうまく合わないように作られており、敵が攻め入った時に、多少なりとも混乱を招くよう作られているのだ!

しかし、敵の脅威が無い現代の我々には、とても歩きにくく迷惑なのだが・・・。



階段を登りきると、城に入る橋が見える。

これも、敵が攻め込んだ時、壊しやすいような橋がかけられている。



こちらが、先ほどの橋の上。



彦根城は、1603年に築城を開始したのだが、大きくいくつかの工事工期に分けられ、全ての工事が終わったのは、1622年であり、実に20年近い歳月をかけ作られたのである。



天守からは、琵琶湖がきれいに見えた。



ここ彦根城には、玄宮園(げんきゅうえん)という立派な庭があり、ここから見る天守もまた美しい限りだ。



そして、城の向かいには、埋木舎(うもれぎや)という屋敷がある。

井伊家では、藩主の子であっても家を継ぐもの以外は、他の家に養子に行くか、寺に入るのが決まりとされていた。

行き先が決まらない間は、質素な屋敷をあてがわれ、わずかなお金で暮らさなければならない。

後に大老、つまり今で言う総理大臣となった井伊直弼も、これにあてはまった。

「世の中を よそに見つつも うもれ木の 埋もれておらむ 心なき身は」

自らを花の咲くこともない(世に出ることもない)埋もれ木と同じだとして、逆境に安住の地を求めてその居宅を「埋木舎」と名づけ、それでも自分には「為すべき業」があるとこの屋敷で精進した。

しかし、世の中は、わからないもので、直弼が35歳の時、兄の死により家督を継ぐことになり、第15代藩主となり、さらには、38歳で大老に就任して事実上の幕府最高権力者となった。

しかし、埋木舎での幅広い勤勉が仇となったか、時代を先取りしすぎ、強行的な開国に踏み切り、さらに安政の大獄などの暴挙を行い、それをよく思わない浪人達の手により、40歳の若さで暗殺されてしまう。

この暗殺が、桜田門外の変である。

せめてあと10年先の日本であれば、彼の考えは、広く受け入れられたであろう事が、なんとも切ない話である。


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