春に訪れていた中東ヨルダンのお話。
さて、ペトラ遺跡を見た後は、ヨルダンの首都のアンマンに向かいます。
特に何があると言う街ではないのですが、次の国へは、飛行機で行くので主要空港に行くだけのようなものです。
ワディ・ムーサからバスに揺られ二、三時間で首都のアンマンに到着。
バスステーションが郊外のため、市内までタクシーで移動したのだが、こちらも怪しい、よぼよぼのおじいさんが運転するおんぼろの白タク。
どきどきでしたがなんとか無事に市内に着き、宿に入りあさっての早朝のフライトまで時間があったので、市内散策。
街を歩いていると、デモ隊に遭遇。
小さな少年が警官を背景にヨルダンの国旗を掲げる。
日本では考えにくいかもしれないが、国によっては、このくらいの年齢ならばしっかりと自分の主張を掲げ、そして国を掲げ己の信念を声高々に叫ぶ。
物々しい雰囲気。
日本ほどデモが見られない国も珍しいが、私はただ叫ぶだけのようなデモよりも、しっかりとした基盤を持った建設的な考えに基づく行動の方が好きだ。例えそれがどんな小さなアクションでも、行動することが大切なように思う。
各地でよくデモに遭遇したが、ただ自分の不満と主張を叫んでいるだけに聞こえ、それがどのような効果を生み出しているのか、いまだによくわからない。
アンマンの人々も、ワディ・ムーサの人々と同じく、とても友好的だった。
カメラをさげていると、「撮ってくれ、撮ってくれ」と、よくせがまれる。
インドなどでもよく言われるが、その後、写真を送ってくれと住所を渡されるため、帰国後が大変だ。
だが、アンマンの人達は、撮って画像をモニターで見せるとただ満足した笑顔を見せ「Thank you!」と去っていく。
これは私にとっては、かなり不可思議な現象だ。
よっぽどでなければ、「撮らせてくれ」と自分から声をかける事がないので、意外とこの旅で人物が写っている写真は少ない。
デジタルが普及して、誰もがカメラを持つ時代となり、相手のことを考えずに写真を撮ったために相手に不快感を与え、いやな思いをさせたり望まない争いになってしまったりすることがとても増えたと思う。
意外にもアフリカは、写真を嫌う人が大変多く、カメラを構えるのにとても気を使った。
それでも、撮っただけであんなにも喜んでもらえたことは、この旅ではなかったので、本当にうれしく良い思いでとなって、いまでも思い出すと心が温かくなる。
路地裏に入っていくと、なんだか小鳥ばかり売っている路地に出た。
愛情溢れる真剣なまなざしで小鳥を選んでいるおっちゃん達を見ていると、まるで少年のようであった。
そして、見付けてしまった。
なぜか鳥かごに入れられている猫。
アンマンは観光名所は少なく、一日もあれば周れる。
ブルーモスク。
しばらくイスラム圏に入っていたが、モスクに入ったのは、これが初めてだった。
お祈りに来たおっちゃんが、親切にいろいろとモスクについて教えてくれた。
この様な場合、今までの国であればガイド料をせがまれるが、そんな事は、一言も言われなかった。
ヨルダンの人達、本当にいい人が多くて好きです。
何があるわけでもなく、ただ人の優しさに触れられるだけで、本当に来て良かったと思う国です。
こちらでも、ローマ帝国の影響を感じさせる遺跡を見ました。
アンマン城跡。
ローマのフォロロマーノを思い出しました。
遺跡てなんだか、ぼーっと佇んで眺めてしまうんですよね。
まさに古代ロマンです。
アンマンの街並み。
かなり密集した街並みです。
でも、建物ばかりが並び、少し殺風景にも感じます。
下の写真は、アンマンで泊まった宿の入り口。
この宿は、2004年にイラクで拘束され殺害された香田証生さんが、イラクに入る前に、最後に泊まっていた宿。
もう10年前となりましたが、記憶にとても強く残っている事件です。
いろいろな意見が飛び交う事件ですが、無事に家に帰ってこそ旅だと思い、改めて気の引き締まる思いでした。
ヨルダンは、ここしばらくで訪れた国々よりも物価が安かったので、少し贅沢をしました。
この旅初のアイスクリーム。
ご飯に鶏肉。
ドーナッツ。
そして、ヨルダン最後の晩餐は、小奇麗なレストランへ。
水も輝いて見える。
こんなにたくさんのメニューは、久しぶり。
パン生地の中に、肉料理の詰め合わせ。
このレストランを選んだのは、この生ラム肉を食べるため。
いや、めっちゃ美味しかったです。
そして最後に、余ったヨルダンのお金で、空港にてマクドナルドのハンバーガー。
これまたこの旅初のマクドナルドでした。
早朝のフライトだったので、夜通し朝まで空港にてデータ整理に明け暮れます。
そして、いよいよこの旅最後の国へ向けフライトです。
さようならヨルダン。